【6月25日のお話】
仕事って一番身近な『人のためになる』ことだけど、どうしても自己犠牲が伴うから。
だから私は働きたくないのです。

昨日の日雇いの仕事でめっちゃ動きまくったので、
♥体重落ちてるだろう!
♥睡眠の質がいいだろう!
とめっちゃ期待してたのに、体重は前日比で+0.5gだし、睡眠の質は相変わらずだし(笑)
汗かいた分めっちゃ水分取ったからかなぁ;;
あ、もしかしたら大学芋たくさん食べちゃったからかもしれない←
小さいサツマイモ3つ分を、昨日の昼に大学芋にしたんですよ。
で、冷蔵庫で冷やしておいたからもうおいしくておいしくて(笑)
今週は日雇い派遣のおかげでおやつの暴食などは抑えられてます。
今日、通常の月曜断食ルールメニュー+バイト・日雇いで体重落ちれば、完全に大学芋が原因になりますね(笑)
でも私、なぜか運動の後体重増えるからなぁ。
明日の朝も増えてたら完全にそっちが原因だわ。
その時は調べてみよーっと。

昨日の記事の冒頭で、『生活のためとはいえ、仕事の拘束時間は無駄に感じる』と書きました。
自分のやりたいことを辞めてまで、仕事する意味ってなんだろうと。
もちろん生活のためですけどw
なんだかそこに違和感を感じてます。
どんなに頑張ったってお給料はたかが知れてるし。
どんなに頑張ったって拘束時間は変わらないし。
場合によっては増えるし(笑)
私は動物や環境や、人のために使うお金を稼ぎたい。
それをやるのに会社の給料じゃ足りないし、時間も足りないし。
だからそれに繋がる活動にもっと専念したい。
でも生活費のためには働かないといけない時期が来てしまった・・・。
仕事にやり甲斐や生き甲斐を感じられてる人は違うかもですが。
生活のために自分の時間を減らさなきゃいけないなんて、なんだか本末転倒な気がしませんか?
でもそれと同時にちょっと思ったんです。
『どんな仕事でも必要な仕事だし、どんな仕事でも誰かの【助け】になってる。一番身近な【人のため】なんだよなぁ・・・』
って。
仕事するってニートでいるより確実に【人のため】になることなんです(苦笑)
じゃぁ結局私の言ってる『○○のため』というのは、働きたくないことを正当化するための言い訳でしかないのかなって考えました。
ちなみに、私の『働く』の定義は
企業に勤めてやらされ仕事をすること。
私の目指す野望『動物保護施設運営・フリーランス・人や茨城の応援』は、自分のやりたいことなので『働く』ことだと思ってません。
・・・茨城応援は趣味の延長になっちゃいますけどw
私語録ですみません(苦笑)
私がやらされ仕事をしたくないのはちっとも楽しくないから。
拘束時間の割に給料が安いから(私やみなさんの1時間の価値が千円とかおかしい)。
やりたいことをする時間が減るから。
だから、たとえ仕事が人のために繋がることだったとしても割り切れない。
納得できてない。楽しくない。
何をするにもまずは自分から。
自分をまず大切にしないと、人に対しても心の底から大切になんてできません。
自己犠牲の上で成り立つ『人のため』は、偽りです。
それこそ偽善であり、自己中心的である。
時に苦しみ、時に恩を着せ、時に怒りの対象になる。
そんなのは真の『人のため』ではありませんよね。
ボランティアって収益は発生しないのに人が集まります。
困ってる人が多ければ多いほど人が集まる。
自主的に参加するので、『自己犠牲』は伴わない。
私が目指す『人のため』はそういう事。
だから私は働きたくないw
今はニートのただの戯言でしかありません(苦笑)
ですが、誰かのため・何かのために動けるようになりたい。
そんな最強な自分になってみせます!
仕事再開で不満はたくさんあるけど←
その不満を力に変えて踏ん張ります!
だってこの不満を一生抱えていくなんてそもそも嫌だからw
何に対しても自己犠牲は良くない。
まずは自分から、それ自体は自分勝手でも自己中心的でもなんてもないのだから。


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