信じるもの、何か一つ

【4月16日のお話】
信じるものがあれば強くなれる気がする、そんな話です。

月曜断食もどきを初めてまだ4日目。
本格始動するのに備え、『余計なものを食べない』週間としてますが、今日は『なんとなく空腹』がずっと続いていますw

作り置きするのにキャベツがないことに気づきコンビニに行った時も、銀行に用があって行った時も、『ついで買い』することは無事避けられました。
空腹感はちょっと我慢したり、白湯飲んだりすれば落ち着いたんですけどね。
いよいよ本格的な戦いが始まるというのか・・・(笑)

炊いたご飯のストックが大量にあるので、まだ普通にご飯食べちゃってるんですけど、これで良食日ご飯抜き始めたら、慣れるまでが本当に大変そう。
量もたくさんは食べれないし。

それだけ生活が歪んでいたということですね。。。
本来の姿に戻すのは苦痛を伴うこと、しっかり頭に入れて向き合います。

生活習慣も改めようと思い、時間の使い方を少し変えました。
これで自分にフィットすればいいんだけど。

自粛期間中の私の静かな戦いが幕を開けました・・・!

おまけ余談ですが。
今日6時前から15分くらいですがごみ出しとコンビニ買い物(↑のキャベツ)しに徒歩で出かけました。
朝の『これから始まる』くらいの時間帯って、なんだかいいなぁと思ったのです。

車やトラックがぽつりぽつりと走り始める。
これから出勤される方
コンビニで今日の朝ご飯か、お昼ご飯かを買われる方。

なんでも『始まり』は気持ちがいいものです。
お正月とか、新年度とか。
気持ちがいいから目標とか立てちゃうんだよね。

さて、また自粛関連になります。
なんかテレビでもコロナ、ネットニュースもコロナで視野や感覚が狭まってしまって、ついついそれ関連のことばかり考えてしまうようになりました。。。

でも緊急事態にしか感じられないこと。
ここで得た感覚は『日常』でも大切になってくると思うので。
東日本大震災の時のように、風化してしまう感覚もあるだろうし。
メモしておきたいと思います。

最近TwitterとかFacebookとかをゆるく活用してるんですけど、やはりみんなコロナ関連の投稿が多く、最近見かけたり、知り合いとのやり取りで発覚したのが『お母さんたちの負担』。

家族が揃っているとどうしても家事の負担が行きやすいのがお母さん。
おうちによってはお父さんや、大きいお子さんがいらっしゃれば助け合って家事を行ってるかもしれません。

でもお父さんは変わらず出勤しなくてはいけなかったり、テレワークでPCにかじりついてたり。
お子さんが小さくて、手伝いどころかまだまだ手のかかる状態だったり。

毎日の食事の準備、献立考案、食器洗い、掃除、片付けなどなど。
一週間くらいだったら【家族と過ごせる時間】と前向きに捉えられるかもしれませんが、それが一か月以上続くとさすがのお母さんも疲弊してしまいます。

本来なら大好きな家族と一緒に過ごせる時間は至福な時間になると思うんですが、もしかしたらそうやって罪悪感を感じてしまうお母さんもいらっしゃるかもしれませんね。

『お母さん』とずっと書いてますが、主夫の方も然りです。

『日常』では、人がいかに助け合って生活していたのか。
人との接触を8割削減が目標になってしまった今、とても痛感します。

ひとはひとりでは生きていけない。

・・・私はぼっち充ニートなんで、今回の自粛によるダメージは少ないです。
バイトもスーパー勤務なんで今のところ変わらず出勤できてますし。
しいていえば休業されてる方が日雇い派遣に集まってたりするので、競争率が上がってることくらいでしょうか。

ダメージが少ない私なので、せめて何かお手伝いしたい!
私でよければお皿洗いのお手伝いに伺ったり、家事手伝いに伺いたい!
でも接触NGで何もできない。自分の無力さをここでも感じています。
私にできることは自粛することと・・・ここの更新でしょうか、微力ながら。

そんなことをもんもんと考えていたところに降りてきた言葉は

『欲しがりません。勝つまでは』

という戦時中の言葉でした。
戦時中はさらに厳しい状況だったと思います。
比較するには状況が違いすぎるので、比較対象にはならないと思います。
当時は当時の、今は今の大変さがそれぞれあります。

当時の方の心境を詳しくは知りません。
歴史の資料を見た程度にしか理解してませんが、『お国のため』に戦い、耐え、亡くなられていった。

暗示を与えられていた状態だったとも思いますが、人々の中には『日本の勝利』という確固たる信念があったに違いありません。

確固たる信念、何かを信じている人はきっと強いです。
宗教、師匠、教科書。
色々あると思いますが、信じる気持ちは自然と自分の中での判断材料であったり、心の支えであったりします。

今まで出会ったことのある『冷静な人』には、そういった判断材料をお持ちなんだなぁと感じてきました。

先月坐禅会や法話会でちょっとかじった仏教も、規則正しい生活を送るためのルールがありました。
『殺さない』とか『盗まない』とか。
それでも道を踏み外してしまう人はいるけど、法律云々の前にそういう信仰心でモラルが保たれていたり、辛い時でもそれを守ろうと耐える強い心に行きつくのかもしれません。

日本はそんなに宗教に関心が強い国ではありません。
私みたいに無宗教の方たくさんいらっしゃると思います。
逆に熱心に信仰されてらっしゃる方もたくさんいらっしゃいますが。

信じる教え(宗教)もない。
師匠もいない。
教科書も別にない。

そういう人は私も含め、何を信じて生きているんだろうと、ふと思ったのです。
信じるものがなければ、縋るものがなければここぞというときに折れてしまいます。

確固たる『自分』をお持ちであればいいのかもしれませんが、私は弱い人間ですので、まだまだその域までいけてません。
自分だけでは折れてしまったときに立ち直るのが難しい気もします。

今回のコロナの自粛も、いったい何に縋って耐えればいいのでしょう。


ついさっき緊急事態宣言の地域拡大のニュースが入ってきました。
対象が全国になるとかなので、今後さらに過酷になってくると思います。

『コロナに負けない』
『みんなと一緒に耐える』
『大切な人のために』
『コロナはいずれ必ず終息する』

何でもいいので、何か一つ強く信じましょう。
強く願いましょう。そしてそれに縋りましょう。

直接手を取り合うことは難しいかもしれない。
でも見えないところで一緒に頑張ってます。
ひとりじゃありません。孤独じゃありません。


心細くなったり限界を感じたらSNSなどでどんどん吐き出していい。
そんな言葉の上げ足を取って炎上させる人なんて気にしなくていい。

『日常』とは明らかに違うけど、でも人はちゃんと繋がってます。
助け合えます。だから大丈夫です。信じましょう!

ただ現実的に精神論だけでは厳しいことも事実。
SNSで言葉を発することが、政府の対策にも影響を及ぼすはずなので、そのためにも辛い思いはどんどん吐き出しましょう。

どんなに小さな声だったとしても、その声は必ず世界を変える力を秘めている。
・・・ということで、微力ながら私も。

【日本政府にお願いです。】

日々対策にご尽力くださりありがとうございます。
しかし対策不足が否めない状況が続いております。

コロナの蔓延・医療崩壊に続き怖いのはコロナ鬱ではないかと私は思うのです。
だから是非人間的なケアも考慮してください。
あなたたちも同じ国民であるなら。

思い出してください。
あなたは何故政治に関わろうと思ったのですか?
お金のため?名誉のため?

国のため、国民のため。
国を変えたいという目的をお持ちであるならば。
その気持ちをまだ忘れていないのであれば。
思い出してくださったのならば。

上から見てるだけじゃ何もわからないでしょうから。
是非同じ目線で。


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