聞き耳を持つこと、持ってもらうこと

【5月15日のお話】
昨日は感情に振り回されてしまいました。そんな時だからこそ自己分析★

昨日政府の発表により、ほとんどの都道府県の緊急事態宣言が解除されましたね!
我が茨城県も解除となりました。

飲食店はじめ事業をされてる方々、育児と家事に追われている方々にとってもうれしい発表となったかと思います。

しかし、昨日の今日で以前の生活に戻ることは多分困難かと。。。
完全に終息したわけではないので、両手放しで喜んでもいられませんよね・・・。

せっかく再開した飲食店では相変わらず客足が遠のいてる・・・
解除したらまた感染拡大の兆しが出てしまい、また宣言せざるを得ない・・・

今回の解除によって多少の混乱は生じることと思います。
ですが混乱の渦に巻き込まれてしまうこと、振り回されるだけ振り回されてまた逆戻り・・・とならないかが心配です。

我が茨城県では、コロナの状況を見ながら4段階に分けて徐々に解除していくそうで、その詳細は本日発表予定だそうです。
他県も慎重に解除していくのだと思います。

緊急事態宣言が出されたとき、正直宣言前後で何が変わったか全然わかりませんでした(苦笑)
今回は情報収集して、やれるようになったこと・変わらず気を付けなければならないことをしっかり見極め、自分にできることはどんどんやっていきたいと思います!

頑張りたいといっても出来ることが限られてしまいもどかしい気持ちでいっぱいではありますが、出来ることに対しては自分に出せる全力を尽くしたいと思います。

みんなで手を取り合って、この危機を乗り越えましょう!

ここ最近、バイト先やらSNS上で自分の質問の意図と全然違う返答いただいたり、発言したことに対して意図してなかった指摘をいただくことが何回かありました。

例えば
『これは何色ですか?』って聞いてるつもりなのに『それは丸でしょ!?』って答えが返ってきたり。
『これは海外の珍しい動物です。かわいいですね。』って言ったら『違法取引を助長してるのか!?』って言われてしまったり。

基本言い直したり聞き直すのはめんどくさがりの悪い癖で、『まぁいいか』とか聞き流してしまうことが多いのですが、誤解されてるということをわかってもらいたくて反論したり捕捉したりしてしまいます。

こういう事が起きると、正直ちょっと寂しくてですね。。。
『えっと・・そこはさすがにわかってるんですが;;私の日本語がおかしかったんだなぁ。』って。

例えの後者の方はイライラしますw
『いやいや、しっかり読んでくださいよ!?勘違いして一方的に怒ってくるとか失礼な人だな!一部だけ読んで勝手に解釈するくらいなら見ないでほしい』って(苦笑)

でもそれっていうのは結局のところ、自分がちゃんと伝えられなかったことが一番の原因で、たとえ一部を切り取られてしまって勝手に解釈されてしまったものだったとしても、それはこちらの伝え方が悪かったということ。

世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな考え方があって、いろいろなものの見方があります。
だからこそしっかり伝えられるようにならないといけない。

100人全員に理解してほしいわけじゃないし、それは無理だということは承知しているけど、せめて誤解の発生が少なくなるように伝え、その上で判断いただけるようにならないといけません。

改善していくために私には【言葉にする力】と【伝える力】が必要なんだ。

もう一つ。
私は聞く耳を持ってくれないと非常にモヤモヤし、時にイライラしてしまいます。
上記に書いた通り、言った内容が違った解釈をされてしまったときや、最後まで聞いてもらったときです。

ちょっと過剰に反応しすぎなのかなって思ったのです。
原因が自分の【言葉にする力】と【伝える力】の不足のせいなのに、完全に人のせいにしてしまってることが気にかかりました。

人のせいにしてしまうのは簡単ですが良くありません。
力不足だということに気づけたからには改善していきたい。

そういう場面で瞬時に気づいて改善につなげるためにはもう少し冷静でいられないと、頭に血が上ってしまってはどうにもできません。

そのストレスを受けた時に、自分の負の感情を受け流せるようになりたいなぁ。

ということで、さらに自己分析。
そのストレスに過敏になってしまった原因を探ります。

思い当たったのは幼少期から学生時代まで、父親から受けたお説教でした。
父親のお説教は理不尽なことも多く・・・。

例えば眉を剃っただろうと言われ、本当に剃ってなかったので『やってない』と言ったらウソつき呼ばわり。
テレビを見ている人がいないと確認してからテレビを消したのに、『なんで見てるのに消しやがったんだ』と言われ。
そこから1時間くらいお説教が始まるわけです。

その間は私はひたすら父親の持論を浴びせられ、自分の意見を言うことなどまったく許されませんでした。

『なんだその何か言いたげな顔は。言ってみろよ。ぶん殴って黙らせるけどな』

こう言われてしまっては、言うものも言えません。
お説教は父親の気が済むまで続きます。
大人の誰も止めに入ってくれませんでした。

多分この時の『言いたくても言えない』ストレスを今でも引きずってるんしょう。
それは逆に『言える時に持論をノンストップで言ってしまう』衝動にも繋がってる気がします。

最近読んでた『嫌われる勇気』のアドラー心理学ではトラウマは存在せず、全部目的があって行っているものだと書いてあったので、目的についても考えました。

私はこのストレスを必要としている。
だからいまでも引きずって、うまい具合に利用している。
それは何故なのか。

語彙力の無い自分の言い訳を作るため。

その目的を解消するためにも、過去に囚われっぱなしにならないためにも、【言葉にする力】と【伝える力】を身につけていきたいと思います。

とりあえず【語彙力】と【情報収集】の意味もかねて『新聞を読もう!』と思いつき、今朝方茨城新聞の定期購読に申し込みましたw
思い立ったが吉日!
慣れてきたら全国紙や経済紙デビューもしたいなぁ♪

今回の自己分析、最初はいわば『ダメージを受ける側』としての面から分析していたのですが、同時に『ダメージを与える側』としての面も浮き彫りになってきました。

聞く耳を持ってもらえない、ということに対して考えていた時に

●一方的な持論ばかりでなく、こっちの意見も聞いてほしい
●聞いてくれた上で指摘されるのは全然かまわないし、むしろ自分の間違いに気づけていいのに。。。

と思ってました。
はてさて。これ自分も相手に対してちゃんとやってるか??って。
もしかしたら、私としゃべってる相手も私に対して同じことを感じているのではないかと。

要は、自分も人の話に聞く耳を持ててない可能性が非常に大きいということ。

何回かここや旧ブログで反省として書いてきましたが、持論を展開することに夢中になって、人の話をしっかり聞けてなぁと。

話を聞いてるうちに言いたいことがどんどん出てきて、人の話そっちのけで自分の考えをまとめ始める。
で、自分のターンが回ってきたらそれを、玉切れになるまでぶっ放してしまいます。

話半分の態度を察せるのは自分でもよくわかってるのに。
だから相手も話をちゃんと聞いてくれない・受け取ってもらえないことがストレスとなり、こちらの話も聞く気がなくなるのでしょう。
話の内容がつまらない時ももちろんあるでしょうけどw

【伝える力】というのは、何も自分の考えを言葉にするだけではありません。

いかに聞いてもらえるか、いかに伝わってもらえるかということ。
相手をしっかり巻きこむこと。
巻き込むというとなんだか言葉は悪いですがw
【会話してる状況】でいることです。

そのためにはまず相手の話に最後まで興味をしっかり持って、一句一言すべてに集中し、全力で会話することが重要ですね。

もしかしたら私は、相手に対して変なフィルターをかけてしまい、その人の言葉を勝手に歪めているのかもしれない。
そのフィルターを取り外すためにも、

敬意をもってしっかり会話していくこと。

今までは自分を出すことに必死だった。
自分という存在や、自分の言葉を受け入れてもらうために必死だった。

実家を出て早半年。
『自分』の存在を自分でしっかり認めることが出来た。
冷静に考えれば、わざわざ必死にアピールしなくたって、私の存在を許してくれてる人たちはたくさんいる。

私は必死にアピールする必要はなかったんだ。
承認欲求に溺れる必要なんてなかったんだ。
自分は自分で大丈夫なんだ。

程度に寄りますが、落ち込んだ時こそ自己分析!
あまり楽しい作業ではありませんが、そこで得られる気づきはとてつもなく大きいものです。

転んだって良い。つまづいたって良い。
でもせっかくだから起き上がるときに藁でも土でも何でもいいので、何かを手にして起き上がってみませんか?

嫌な気分すら自己投資へ。
嫌な気分をくれた相手に対しても、感謝の気持ちを芽生えさせることもできますよ。

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